日米安全保障フォーラム2003:第2回日米安全保障戦略会議

(額賀 福志郎 基調講演要旨:2003/11/20憲政記念館)

「日本の新防衛戦略(主体的防衛戦略)について」

(1 はじめに)

 本日は、新たな安全保障環境における我が国の防衛戦略の在り方について、私なりの考えを述べさせていただきたいと思います。

 本年の5月、本フォーラムの主催者でもある安全保障議員協議会は、米国ワシントンDCを訪れました。その際、私は、ヘリテージ財団で、日米同盟の役割について、スピーチさせて頂きました。その中で、新しい防衛戦略論として「主体的防衛戦略」に言及致しました。私の考える「主体的防衛戦略論」は、勿論、いわゆる「自主防衛論」や「日米同盟軽視」では全くありません。それでは、何故、私が「主体的」という言葉を使ったのか。それは、これまで、我が国では安全保障や防衛の問題が自ら問題として「主体的」に考えられて来なかったという思いがあるからに他なりません。安全保障や防衛という国家の基本的事項を自らの問題として自らの国益に照らして積極的に判断するという本来当然のことが実はなされていなかったという問題提起を皆さんに投げかけたかったのです。

 ワシントンDCでのスピーチでも触れましたが、我が国が安全保障・防衛問題を主体的に考えなくなってしまった背景の一つとして、軽武装・経済優先を謳った「吉田ドクトリン」の存在に安住してしまった歴史的な怠慢が挙げられると思います。ただし、「吉田ドクトリン」は、今から考えれば、先の大戦で疲弊しきった我が国の国民経済を、東西冷戦という当時の時代背景の下で復興させることを最優先の課題とした一種の緊急避難的な措置であったとも言えます。このことは、吉田茂氏自身が後年、「経済的な安定を達成することができたら独立国家としてやるべきことをキチンとしていかなければ、一人前とはいえない」とのべていることからもお解り頂けると思います。勿論、「吉田ドクトリン」は、当時の時代背景の下では極めて優れた国家指針、実現のための方便であったと言えます。

 その後、まさに「吉田ドクトリン」の成果でもある高度経済成長を経て、我が国は世界第2の経済大国となり、国際経済に大きな地位を占め、極めて重要な役割を果たすことが求められています。更に、国際社会の主要メンバーとして経済・金融の分野のみならず国際政治の面でも少なからぬ影響力を有するようになっております。ここに至って、私たちは、現在の我が国が国際社会に占める自らの地位を踏まえ、我が国の防衛戦略を改めて自らの問題として、つまり「主体的に」検討することが求められていると考えます。

(2 安全保障環境の変化)

 米国・ソ連という超大国をそれぞれ極とする二大陣営が対峙する冷戦構造は1990年前後に終結しました。「冷戦後」の世界は既に10年以上が経過していますが、世界中の人々が抱いた平和の配当は幻想にしか過ぎなかったほど、国際的な安全保障環境は、より複雑で不安定な状態になっています。

(脅威の変化)

 東西対立の下で押し込まれてきた地域紛争や大量破壊兵器の拡散などの問題は、「冷戦後」直後よりも現在の方がより深刻になっています。また、2001年の米国同時多発テロを契機として、脅威認識の変化も加速されています。脅威の主体として、従来の国家だけでなく、テロ組織など非国家主体にも注目が集まっています。さらには、テロ活動、海賊行為、麻薬密輸などの不法行動、緊急事態が安全保障上の問題として重視されるようになっています。

 グローバリゼーションの進展に伴う国家間の相互依存の拡大と深化などを背景に安全保障問題のグローバル化も進んでいます。ある国で生じた安全保障上の問題が、瞬く間に国境を越えて世界中に広がる可能性が高まっています。また、脅威や不安定要因が生起するスピードも速まっており、それらが顕在化する兆候を予め察知することが困難になってきています。このことは、テロ攻撃やサイバー攻撃(各種情報システムにネットワークや情報システムを利用した電子的な攻撃)などの手段による攻撃で現代社会の弱点を衝かれる可能性が増大していることを意味します。

 誰が、いつ、どこで、なぜ、私たちの社会に脅威を与え、攻撃してくるのか更に予測が困難になり、複雑で多様な脅威が「今そこにある」、そうした状態の下で私たちは日々生活をしているわけです。

(変化する脅威への対応)

 こうした認識の下で、その脅威などへの対応にも変化が見られています。

 まず、かつて長い間対立関係にあった米国とロシアは、今、新たな協力・信頼関係の構築が見られるなど国際協調の流れが基本的に定着してきています。今日の自由と繁栄が、世界の平和と安定を前提に確保されている以上、責任ある国家であれば、現代社会の安定秩序を根底から覆そうと試みることは極めて考えにくいと思われます。つまり今日、国際社会は安定した国際環境・秩序の維持で基本的に一致しているとも言えます。私たちは狭くなった世界でお互いに何らかの形で依存し合いながら生存しているのであって、そこでは「他人事」などあり得ないのです。

 したがってその安定した秩序を脅かす存在であるテロリストやいわゆる「ならず者国家」に対して敏感にならざるを得なくなっているのです。そして、テロリストや「ならず者国家」は、合理的な計算が効かない脅威、つまり従来の「抑止」の考え方が必ずしも通用するとは限らない脅威です。

 そういった脅威に対しては、その予防・抑止に関する国際的な枠組み作りやそれに基づく活動など様々な努力が行われています。さらに、その予防・抑止に失敗した場合の対処にも各国は万全を期そうとしています。また、地域の秩序などを脅かす独裁政権や国際テロ組織などに蝕まれた国家が崩壊した場合には、それを責任ある国家へと再生することが国際的な課題になっています。こうした問題を解決するにあたっては、何よりも当事国の国民の意識の改革と国家再建への努力が前提となりますが、軍事力及び、外交、警察司法、経済など多様な手段を用いる必要性が増大しています。

 ここで軍事力の役割そのものにも言及したいと思います。今日、軍事力もその役割を変化・多様化させることが求められています。軍事力の役割は、従来の「国の防衛」に加えて、「地域内の秩序維持」更には「世界規模での協調」などの分野にも拡大しています。この拡大に伴って、軍事力は、かつて、「存在(プレゼンス)」による抑止に重点が置かれていましたが、現在は、積極的にその任務を果たすための「運用(オペレーション)」も重視されるようになってきています。各国は、戦力の再編・合理化を進め、軍事力の新しい役割も含め、協調して多様な事態に対処することができる軍事能力を確保するための軍の変革努力を行っています。我が国の自衛隊もその例外であってはなりません。

 その中でも、米国は唯一の超大国として、軍事力、科学技術力などで国際社会における優位を維持しています。特に、情報通信技術の大幅な進歩などによる「軍事革命(RMA)」やそれを見据えた「軍の変革」を経て、軍事能力の優位性はますます高まっています。こうした圧倒的な国力を背景として、国際関係は米国を中心として新たなものになりつつあります。他方、テロや大量破壊兵器の拡散などの問題を米国のみで解決することはできないことも事実です。米国自身も国際問題の解決に際しての関係国との協力や国際的協調の重要性を認識しなければなりません。

(3 新たな安全保障戦略)

 こうした新たな安全保障環境における新しい安全保障戦略について話を進めさせて頂きます。

(専守防衛)

 5月にワシントンDCで私は「専守防衛」の概念の整理を提唱致しました。先に述べたように、いわゆる「ならず者国家」やテロリストのように「抑止」が効かない脅威が存在します。また、核・生物・化学兵器といった大量破壊兵器を搭載した弾道ミサイルの発射で開始される脅威形態が出現したことにより最初の一発で国家にとって決定的な被害を受けてしまう可能性が生じています。こうした変化などを勘案したときに、必要最小限の実力行使である「専守防衛」も当然にして相対的なものであるとの認識を改めて申し上げたかったからです。

  今回、お手元には「『主体的防衛戦略』の具体化に向けて」という包括的な課題リストをまとめた資料があると思いますが、私は、ここでは、幾つかのポイントに絞って、私が考える新たな防衛戦略について説明させて頂きます。

(総合防衛力)

 安全保障環境の変化に応じた新たな我が国防衛の在り方という観点からは、国全体としての「総合防衛力」の構築が重要です。

 先ほど、テロ、サイバーなどの非対称攻撃で現代社会の弱点、特に情報インフラといったソフトウェアを衝かれる可能性が増大していると申し上げました。こうした脅威に対しては、軍事力に限られない多様なツールを用いた対処が重要となります。犯罪捜査などの警察分野はもちろん、テロリストの往来を許さない出入国管理、大量破壊兵器の原料物質や技術の移転を許さない輸出入管理、テロを資金面から規制するための外国為替等々、様々な面からの対応が必要とされます。また、国だけでなく、テロ事態が生起した場合に、事実上まず現場に駆けつけることとなる自治体の消防組織なども重要な役割を担っています。政府の全機能を投入した戦いが必要であり、その意味で新たな「総力戦(トータル・ウォー)」の時代に入った、とも言われております。

 実際、我が国がテロに関連して採ってきたこれまでの措置を見ますと、実に多岐にわたっています。例えば、不法入国者や不法滞在者への対策の強化が法務省によって行われ、テロ資金の追跡能力の強化は金融庁です。テロリストに対する警備能力・即応体制の強化のための装備・資器材の整備などが警察・海上保安庁・自衛隊等により行われました。原子力発電所等の防護措置の強化では経済産業省や文部科学省が関わってきます。NBCテロへの対処能力の強化では、検知、除染、救急医療での防衛庁の役割はもとより、ワクチン備蓄や除染設備等の配備では厚生労働省の役割があります。サイバー・テロに対しては、総務省や経済産業省がネットワークセキュリティやコンピュータウィルス対策に取り組んでいます。9月11日テロの発端となったハイジャックについては、国土交通省による空港・航空機の保安対策や財務省による通関検査の充実強化が図られました。また、海外にいる日本人の安全を守る外務省の取り組みも強化されていますし、テロ資金供与防止条約や爆弾テロ防止条約の締結など条約面での対応も進んでいます。

(国際的な使命と責任)

 他方で、この新たな脅威には、一国だけで対処できるわけではありません。脅威の主体は国家に限られず、テロリスト達は国境を越え、まるでアメーバのようなネットワークをつくり、我々を脅かしています。テロリスト達は、かつてのアフガニスタンのような破綻国家だけでなく、先進国を含む世界中の地域に潜んで活動することができます。それ故、新たな脅威への取り組みは世界的な、そして長期的なものにならざるをえません。ある一国だけがそこから外れて安全などということはあり得ないのです。

 新たな脅威に取り組むにあたっては、諸国間での価値観や認識の共有及びそのプロセスが重要であることは言うまでもありませんが、実際の脅威対処においても、行動責任を応分に負担することが必要になってきます。

 安定した国際環境は各国の利益に適うところであり、テロや大量破壊兵器の拡散などの諸問題に関する国際協調や、紛争の政治的、外交的解決重視の流れは定着してきています。資源を海外に依存し、貿易によってその繁栄を築いてきた我が国は、国際社会の平和と安定の継続によって最も利益を享受している国の一つです。その平和と安定を脅かす諸問題の解決に我が国が積極的に協力するのは至極当然です。その意味で、私は国際「貢献」という言葉で表現するよりも、むしろ、これは我が国の国際的な使命と責任であると考えるのであります。

(自衛隊による国際的な活動)

 1992年の国際平和協力法(いわゆるPKO法)の成立以来、自衛隊は国際的な任務・活動を拡大してきました。派遣された部隊・隊員は立派に任務を果たし、国際的にも高い評価を得ております。私自身もそのことを大変誇りに思っています。しかしながら、政策レベルで考えたとき、現状で十分であるとは申せません。現状では、自衛隊によるPKOなどの国際的な活動は、自衛隊の任務の上では、余力の範囲で行う「付随的な任務」に過ぎません。これまでに御説明した国際社会で見られる軍事力の役割の変化とそれに対応する各国の変革努力を踏まえれば、自衛隊においても、こうした国際的な活動を我が国防衛と同様に自衛隊の「本来任務」と位置付けることが重要であると考えます。そして、自衛隊の組織・装備の面でも、その重要性を反映したものに変革させることが必要です。そうしてこそ、我が国の国際社会に占める地位に見合った国際的な使命と責任を果たすことが可能となるのです。勿論、個々の問題で我が国の国際的役割及び責務を我が国として実際に如何に果たすかは、我が国の国益など様々な要因を考慮に入れ、適切に政策判断をしなければなりませんが、まず、自衛隊の活動をキチンと法的に位置付けてあげることが大切であります。

(日米同盟)

 次に日米同盟について話させて頂きます。5月のワシントンDCのスピーチでも若干触れたことですが、私たちは、日米同盟を、歴史の遺産であるとか、はじめから自然に存在していたものと捉えるべきではありません。日米両国による主体的な不断の努力と両国の国益に合致しているため存在していると考えるべきであります。実際、日米同盟は、安全保障環境の変化などを反映して、ますますその重要性を増しているのであります。冷戦期には「我が国防衛」が重視され、冷戦後、「我が国周辺地域の平和と安定の獲得」にも重点が置かれ、更に今日では、日米間での「グローバルな協力・連携」も強調されるようになってきています。まさに「時代」に適切に対応してきている同盟関係であろうと思います。

 米国も我が国も、世界第1位、第2位の経済大国として、国際社会の平和と安定の現状によって最も利益を享受しています。両国は今後とも国際社会に対して大きな責任を有しています。我が国としても、米国と協力して、先に述べたような国際的な使命と責任を積極的に果たして行かなければなりません。

 一般論として、米国と同盟国との関係を見る時に、単なる形式的な同盟関係の維持から、我が国の国益として国際社会の平和と安定を追求していくために、「やる気がある者同士による連合」(有志連合、コアリッション・オブ・ウィリング)の要素が加わってくる可能性が高まって参っております。我々は米国との連携を外交の中心と据えている以上、日米同盟の存在と関係に条件反射的に安住してしまうのではなく、それぞれの課題ごとに「米国と共に何ができるか?」を問い、場合によっては、YESもNOも言えるスタンスを持つ真の日米同盟の信頼関係の上に、国際的使命と責任を果たしていく意志を持つことが重要になってきます。

(集団的自衛権)

 こうした国際協調・国際活動を推進する上で、どうしても直面せざるを得ない課題があります。それが、「集団的自衛権」の問題です。この「集団的自衛権」は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」とされており、これについては国連憲章(第51条)でも「個別的又は集団的自衛の固有の権利」としてはっきりと認められているところです。

 しかしながら、この集団的自衛権に関する我が国政府の憲法解釈は、「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容される自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲内に止まるべきであり、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものであって、憲法上許されない」というものになっています。この解釈については、国会の場をはじめとしていろいろ議論があるところですが、これについてやはり何らかの方向性を出す時期に来ているのではないかと考えています。

 そもそもこの集団的自衛権の行使を認めないとの考え方は、かつてのように「列国の力の均衡」や「米ソ東西両陣営の対峙」といった国際社会の下においては、不必要に戦争に巻き込まれることを回避するために一定の役割を果たしたのかもしれません。しかしながら、安定した国際環境・秩序の維持で一致し、協調を重視する今日の国際社会において、この集団的自衛権を行使し得ない、また、武器の使用などに極めて大きな制限が課されていることは、我が国が国際的責任を果たしていく上で大きな問題点を提起していることが明らかになっています。例えば、PKOにおいて、我が国自衛隊が他国の部隊と共同して活動する場合に、共に行動するある国の部隊が攻撃を受けたとしても、自らに危険が及ばない限り、極端に言えば、茫然と見過ごすという態度をとらざるを得ないのです。こういう我が国の姿は、国際社会から見れば、奇異に映るか、誤解を持って捉えられてしまうのではないでしょうか。こうした制約の下では、我が国がその国際的な使命と責任を十分に果たしていけないことは明らかではないでしょうか。

 この「集団的自衛権」や武器の使用に絡む問題については、今後私自身も含めて幅広い議論を行ない、他国に脅威を与えるような軍事大国とならないとの基本理念の下、我が国の国益を守る行動と国際的な協調と責任を果たす活動ができる法的な条件をしっかりと整備していくことが不可欠であります。それによって私が提唱している「吉田ドクトリン」を本当に乗り越えた新しい防衛戦略が構築できるのではないかと考えます。

 以上、ささやかながら、私の考えの一端をお話しさせていただきました。ご静聴ありがとうございました。